尊厳死とは


尊厳死とは

尊厳死が必要とされる理由

尊厳死が必要とされる理由 尊厳死とは、過剰な延命治療を行うことなく人間としての尊厳を保って安らかな死を迎えることです。逆に言えば、今の医学では人間らしく死を迎えることができないことを意味しています。意識の無い植物人間状態であって、意識の回復は奇跡を期待しなければ見込めなくても延命だけはできるのが今の医療では可能です。ただ、一方で奇跡的な回復を期待して、あるいは意識がなくても生きていられるのに積極的に治療を打ち切って死を早めることには強い抵抗を持つ家族もいます。これは価値観の違いなので、どちらかが正しい、正しくない、あるいはどちらが良い、悪いという判断はできません。あくまで本人、家族の価値観で決まります。家族の意思よりも自分の意思を貫きたい場合は、リビングウィルを明確にしておく必要があります。

尊厳死が無視される医師側の問題とは

また、救急医療の現場では命を救うということが最優先される風土があります。ある病院で救急搬送された意識の無い高齢患者に人工呼吸器が取り付けられ、点滴が処置されたが点滴も入らず腕はむくむばかりで意識も戻らない状態となりました。そこに駆けつけた家族(娘1人)が本人は延命治療を望んでいなかったので人工呼吸器、点滴を止めるように病院に依頼したが拒否されたということです。意識が戻れば、まだ良かったのですが意識も戻らないままで数日後にその高齢患者は亡くなっています。

そして、この行為は結果論から言えば延命を止めるべきだったと簡単に結論付けられますが、救急の現場では治療中においては、例え家族の一人から強い申し出があったにしても、家族全員の意思なのかどうか分からない時点では最善の治療を行わなければ、最悪は別の家族から治療を行わなかったと訴訟になる可能性すら考えられます。法律的に不明確なため医師の立場からすると、家族と同じ思いであったとして簡単に延命治療は止められないと言います。

厚生労働省は2007年に「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を策定し、終末期医療では、患者や家族の意思を尊重すると定めているものの、その意思をしっかり確認するには、救急医療のような緊迫した状態では、その時間すらないのが現実で上記のような問題が起こります。


尊厳死に反対する立場の意見

尊厳死に反対する立場の意見 尊厳死が簡単にできることが認められると人間としての生存権が軽んじられると主張する人達がいます。極論すれば、尊厳死は生産性のない人間は生きる価値がないとし、尊厳死と言う名目で、弱者や意思表示できない人への一種の殺人や自殺ほう助を助長するとしています。尊厳死に関しては法律化の動きがありますが、積極的に推進する派としない派があり、どう決めるかは難しい問題となっています。少なくとも肉体的、精神的に耐えがたい苦痛があり、死をもってしかその苦痛から逃れられないこと、植物状態がある期間以上続き回復の見込みが無いこと、そして本人が明確に尊厳死の選択を望んでいることが必須条件とかんがえられます。しかし、運用する際には「耐え難い苦痛」とはどんなレベルであり、誰が死をもってしか逃れられないと判断するのか難しい問題です。また、ある期間以上の植物状態とは、それくらいの期間で植物状態から回復しないと、どう判断するのかも難しい問題です。